昨日、会社の同期の披露宴二次会に出席しました。
入社一ヶ月前に入籍してしまった私は、常に同期の結婚をひたすらお祝いして、
ご祝儀を回収できる見込みはないわけですが(苦笑)、
友人や同期の結婚式に出席するたびに、
あぁ・・・本当にいい式だったなぁと感動しています。
たくさんの人に祝福される喜び。
二人で人生を共にすることへの不安と期待と幸福感。
新郎、新婦を見守ってきた両親。
人生を分かち合った友人たち。
二人の人生を参加するみんなで祝福する場と時間を共有できることは、
こんなにも人を幸せにするものなのかと思いますし、
純粋に感謝と幸せを表現して、
互いにそれを実感できるというのは、
結婚式という人生の大きな節目の儀式の偉大なところですね。
結婚という儀式に立ち会うとき、
いつもプラトンのシュンポシオン(饗宴)のことを思い出します。
男女はもともと背中合わせの一体(アンドロギュロス)であって、
その優れた能力に驕るあまり、神々の怒りを買って、
体を切り離されてしまいます。
このため、もとの体に戻るために、
いつも失った半身を捜し求めているのだという話です。
生物学的に人間の愛情に関する研究が行われていますが、
その一方で、なぜこんなにも人は惹かれあうのかを考えるとき、
プラトンの思想はなんだか個人的にとてもしっくりくるのです。
シュンポリオンの一節を新たな人生の門出を迎えた二人に捧げます。
思うに、両人が、そういう気持ちになるというのも、
じつは、僕たち人間の太古本来の姿が、
そこにあるからなのだ。
昔の僕たちが、完全なる全体をなしていたからなのだ。
そして、その完全な全体への欲求、その追求こそ、
愛という名がさずけられているのです。
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